1985年国連環境計画(UNEP)によって、オーストラリアのフィラハ会議が開かれ、これが地球温暖化対策のきっかけになったとされています。
「21世紀前半には地球の平均気温の上昇が未曽有の規模で起こる可能性があり、科学者と政策決定者は温暖化を防止するための対策を協力して進めなければいけない。」
と結論づけられました。

その後、1985年にカナダのトロントで
「2005年までには、二酸化炭素排出量を1988年レベルから20%削減。」
という数値目標が提示されました。
しかし、1988年から2005年にかけて、二酸化炭素排出量は33%も増加しました。
この数値目標には、法的罰則がなかったため、各国に罰則は与えられませんでした。

1988年10月に、国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)によってIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立されました。

1992年に世界は、国連の下、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを究極の目標とする「気候変動枠組条約」を採択し、地球温暖化対策に世界全体で取り組んでいくことに合意しました。

気候変動枠組条約は、大気中の温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素[亜酸化窒素]など、HFCs、PFCs、SF6)の増加が地球を温暖化し、自然の生態系などに悪影響を及ぼすおそれがあることを、人類共通の関心事であると確認し、大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させ、現在および将来の気候を保護することを目的としています。

気候変動枠組条約では、先進国には、2000年の温室効果ガスの排出量を1990年レベルにするための政策を行うという約束を求めています。
しかし、気候変動枠組条約にも、法的拘束力がないため不十分であり、温室効果ガスの排出量が増えてしまうという認識が広がり、気候変動枠組条約の下、法的な拘束力がある国際条約として1997年に京都議定書(2005年発効)が策定されました。

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